以前函館に行ったとき、観光として五稜郭にも訪れた。星型の堀と土塁で形作られた優美な城。もとへ。要塞である。その形と規模の由来については火器の発達と密接に関係しているが本稿には無関係なので割愛する。興味のある向きはwikipedia等を渉猟してみると良かろう。
五稜郭が歴史の表舞台に登場するのは僅かな時期だ。戊辰戦争の最終期、箱館戦争のおりで、それ以降大した出番も無いため、歴史モノとしての観光資料は戊辰ネタにほぼ終始している。それだけに展示物やパネルの解説文は微に入り細を穿つ…という程でもないが、時系列ごとの戦況の変化や無名な人物の解説に至るまで、そこそこ充実していると感じた。
中でも力が入っているのは新撰組関連で、これは副長土方歳三はじめ新撰組残党が旧幕軍に居たことによる。NHK大河ドラマの影響からか歳三の胸像まで用意する力の入れようには思わず失笑してしまうほどである。新撰組ならその活躍の場である京都や、故郷である多摩あたりがふさわしいのではないか。死に場所というだけで殆ど縁もゆかりも無い地域で盛り上げるのはどうかと思う…
と、ちょっと複雑骨折した印象もあったがいくら何でも言いすぎか。榎本武揚や大鳥圭介、松平太郎といった幹部連中を考えてみても土方歳三に人気が集まるのも無理は無い。歳三以外は全員降伏後に生き残っているし、榎本や大鳥などは明治政府の顕官を歴任している。福沢諭吉だったか(?)、この件で榎本武揚を痛烈に批判していたが、旧幕時代末期の洋学官僚としての榎本の来歴を考えればやや筋違いか。
また脱線した。現代の新撰組人気の源流は意外と浅く、司馬遼なんかの作家が新撰組を含め幕末モノの作品を著してから、のようだ。それ以前については寡聞にして知らないが、戦前~戦後の鞍馬天狗では敵役でしかないし、その程度のものか。あ、鞍馬天狗といっても牛若丸とかは出てこないので念の為。出てくるのは嵐寛寿郎である。
箱館戦争後は新政府の手前、おおやけに新撰組の擁護もできず、わずかに松本良順(松本順)が旧隊士の供養塔を建てたりする程度だ。明治政府自体が薩長の藩閥であり、それは大東亞戦争の終末まで続く。その間は新撰組といえば建国の英雄を多数暗殺した旧勢力の武装集団であり、往時を知る者もその子も全て世を去る頃になってようやく異なる評価が可能になる。
最後の将軍、15代徳川慶喜は維新後隠棲し、そのまま30年間出仕せず、世間との関わりも徹底して避けた。それは彼の水戸史観的な『後世の評価』への畏れがそうさせたのだと思うが、歴史の成熟に時間がかかることを知っていたという点で非凡であると思う。
まぁそのあれだ、素人はコーエーの『維新の嵐』でもやってなさいってこった。大隈重信で福沢諭吉に斬りかかって、史上初の早慶戦を行うのもまた一興。