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宗教学概論

 宗教とは何か。それはものの考え方、人生のありかた、世界の捉え方、をまとめた概念そのものだ。概念は言葉となって伝えられ、それを大まかに聞いて正しく理解し、賛同すれば立派な信者である。諸行無常だとか絶対性の否定に『激しく同意』する人は仏教徒もしくは仏教的な人間ということになる。信者はそれぞれの教義に基づいて儀式を行う。だが、儀式を行ったからといって信者であるはずもない。

 神とは何か。これは難しい、というより定義不能だ。なぜなら、神の定義はそれぞれの宗教によって異なるからだ。神道で謂う処の八百万の神々を、ゴッドと訳されてしまうともう全然違うものになる。絶対的な存在、その概念そのものの説明としてのゴッドと、万物に宿る精霊とでは塩と醤油くらいは違う。んが、あえて共通点をこじつけてみよう。神とはその宗教における世界観の説明に用いられる概念、てところか。例えて言うなら…『三角形ABCにおいて、線分BCにAから下ろした垂線とBCとの交点をDと仮定するとき、神はAでもBでもCでもなく、Dである』ってところか。この例は我ながら場外ホームラン級のファウルだと自負している。

 先の説明ではあまりにもアレなので補足すると、いろんな宗教において、神様というのは仮定された存在、考え方に過ぎない。ゴッドが万物を創世したわけではなく、万物の創造神ルドラサウム…もとへ。創造神を設定した世界観こそがユダヤ教なんかの一神教の肝である。神の存在について『ある・ない』を問うべきではなく、其処に『在る』ものなのだ。だから現実世界の諸問題を見渡して、宗教における『あるべき世界』との齟齬を評するのは、非常に冒涜的な行為と言える。ま、自分の脳内彼女の容姿を貶しても仕方ないでしょう。神ごときいくら冒涜したところで所詮天に唾するようなもの。

 神の定義、もう少し続ける。信者が集まって団体となると、多人数の便利の為に寺院やシンボルを建設したりする。同じ宗教の信者だから一緒に儀式をする、その為の施設でもある。さて、ここで各信者の祈る神は共通の神だろうか?『そんなの考えるまでもなく、当たり前じゃないか。その為の教会なのだから。』という人は、神そのものについてもう少し根本的に考えるべきだと思う。多くの人が同じ場所で祈る、この『場所』も、行われる『儀式』も、当然publicなものだ。しかし祈りの対象としての『神』はどうか。祈りはときに瞑想であり、ときに哲学的思索だったりするが、それは当然個々人の内面に向かうものだ。もう一度書くが、神とはどこかに『いる』とか『いない』とかいうものではなく、信じるものの心に『在る』、すぐれてprivateな概念である。

 『信じるものは救われる』。これを理解するには2つの問題の答えを出さなければならない。『信じる』とはどういうことか。そして『救われる』とはどういうことか。前者については、もういいだろう。その宗教における世界観・生き方・考え方に対する適度な理解と同意だ。では救いとは何か。より善く生きる事?何を基準に?他人から見てどんなに悲惨な人生でも、自分が満足すればそれで良いのか?また逆に、悲惨に生きる他人が幸せになれば、自分は救われるの?家内安全商売繁盛安産祈願、加持祈祷でご利益ホイホイ、で良いのか?いや、天は自ら助くるものを助く。祈りの代償としての努力という対価。救いはあくまで自分の努力によってのみ、与えられる、のか?それも違う。いくら努力したところで、癌が治るとは限らない。…神様を何だと思ってるんだ。僕はそれほど傲慢じゃないッ!
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 これでは袋小路だ。信仰の対価としての救い、という考えは根本的に誤りである。救われていないものが救われる、のではなく、『全ては既に救われている』と考えるのである。以下、紙数も少ないので簡潔にまとめるが、『信じる』⇔『(救われていることを)認識する』こと、となる。全てが救われているなら、こんなに幸せなことは無かろう。自分から何かをする必要も無い、何もしなくても皆に平等な救いがあると考えることで、平穏な気持ちになれるのだ。その答を信じることが信仰であり、それによって安心することこそが救いである。そうは言っても、目の届く範囲ですら不幸は多い。また、救いとは、自分のわがままを通すことではない。そんなとき、脳内神に祈る、また神の視点を意識することによって、不安を取り除き、より倫理的に公正に生きることができる。そんな都合の良い脳内神様も長い歴史でちゃんと形作られている。アラブ人のイエス像がギリシャ人風でもロシア人風でも日系二世でも良いではないか。

 そうは言っても安心の為に信仰を持つってのは、狭心症に救心じゃあるまいし、本末転倒だ。おおむねどの宗教も心の平安は大事にしてるみたいなので(原理主義とかカルト系除く)、エッセンスを理解して好きなものを選ぶと良いのではないかと思う。とりあえずヤン・ウェンリーは仏教徒てことで宜しく。

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2006年09月29日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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