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オカルト多事暴論

 そもそもオカルトとか『秘されたモノ』の意で云々、(中略)、古代より人間の本能に訴える畏れの念が云々、(中略)やっぱりヤメ。いつもながら毒にも薬にもならん。といってもまっとうに書くと暴論だしな。占いとか心霊現象とか、バカじゃねぇのか、小学生じゃあるまいし、みたいな。いやいや、卜占の類の様式なんかは各地の土俗宗教・民間伝承を語るのには欠かせない。霊魂の存在・在り方なんかも同様。占星術にしたって天文学の発祥と結びつけて語れないことも無さそうだし。なんだか京極夏彦の小説みたいな言い訳だな。そんなことが言いたいんじゃないんだが。

 なんかもうグダグダだから方針転換することにする。先日の稚内行きで示したように、クルマの燃費なんて走行条件でかなり変化する。一般的に新しい車=燃費が良い という方程式がなりたっているようだが、ガソリン1Lから取れるカロリーが変わるわけでも無し、実際には古くても大差ない。衝突安全云々で重くなった分を、ギリギリのエンジンチューンとワイドなギア比で相殺しているだけである。

 ガソリンが高騰しているせいもあるのか、ホームセンターやカー用品店では燃費向上グッズが乱舞している。どれもこれも俺から見ればカスなのだが、売れているのだろう。中には効果が無いばかりか逆効果になりそうなシロモノさえ見受けられる。中でも老舗といえば『アーシング』ではないだろうか。ご存知のムキには蛇足になるが、クルマは普通バッテリのマイナスからボディアースされていて、その配線を新たに増やすことだ。

 バッテリー(実際には交流発電機)⇒負荷⇒接地 の回路で考えると、負荷で消費される電力はW=IE。もちろんV=IRなので、負荷以外の配線抵抗が減ると、負荷で消費される電力は増える。発電負荷が増えるってことなのだ。こんなのはわざわざ書くのもアホらしい…以前にめんどいくらいなのだが、こんなオームの法則の初歩の初歩もわからん人が多いのだろうか。電池と豆電球で考えても答えは出るのだが。

 アーシングでセルの回りが良くなったり、ライトが明るくなったり、オーディオのノイズが減少するってんならまだわからんでもない。んが、燃費が良くなる、加速が良くなる、なんてのは間違いというか大嘘だ。そうかと思うと、最近ではヒューズが熱いんだそうである。ヒューズというのは…電気系統のショート等の理由で大電流が流れそうになったとき、重要パーツが壊れるのを防ぐための…面倒なのでhttp://www.tydkk.com/ritz-sf/lineup.htm#この辺でも。こんなの良く思いつくなぁ、と思うがメーカーも売れるから作るんでしょうな。消費者は完全に舐められている。

 資本主義の世界だし、売れれば基本的に何を作っても構わないけれど、こういう疑似科学はいただけない。マルチ商法やねずみ講と同じく、世のため人のためにならない。疑似科学、というのは…相変わらずロクでもない例しか思いつかないけれど、『相対性理論は間違っていた』とかその辺である。詳細は『と学会白書』あたりを参照して欲しい。敷衍して、疑似科学のはびこる世の中はどこかおかしいと感じる。皆が皆、冷静で無いというか、自分の脳で考えることを放棄しているのではないか。一応、義務教育なるものが存在する筈だが。

 何となく車ネタを例に出したが、この手の疑似科学はいろんな所にある。どれにも共通して言えることだが、『なんだか良くわかんないけど、すごいらしい』『良くは知らないけれど、正しいらしい』というようなブラックボックス構造だ。『よくわからない』⇒『秘された』⇒オカルティズム、というミエミエの流れで冒頭のネタに立ち返るのはちとあざといかな。

 結論以前に流れが気に食わないので蛇足オチにするか。霊魂がどうのとか占いがどうのとか真顔で言う人が多いのは、日本で宗教についてまっとうに学べる場が無いからでしょうなぁ。たとえば三大宗教についてサワリだけでも学べば、そういう冒涜的な発想は無くなるだろうし。…と思ったけど近所の寺に行っても神仏習合でお稲荷さんとか平気であるか。仏教神道民間伝承ごった煮の七福神とかわけわからんものまであるし。日本人はなんだかんだ偉そうな事言っても現世利益が好きなんでしょう。親鸞も日蓮も法然も栄西も道元も(中略)みなさん個としてはすぐれて哲学的な人間でも、その教えで民族性まで変えるってわけには行かなかったんですかね。

 蛇足の蛇足。科学教育をいくらやっても疑似科学や怪しげな宗教団体が無くならないのは証明済みですな。

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コメント (3)

日本の宗教は最後はアニミズムにいきつきそげな感じ。
アジア(特に諸島)に分布する「いたるところに精霊はいる(絶対神は想像できない)」という宗教観。
ほったらかしておいても自然の恵みは勝手にやってくる/自然の恵みは一様ではなくあっちからもこっちからも/恵みと災厄は表裏一体
てな具合に砂漠の神のように契約によって恵みを約束され、違約によって罰を受ける、というような宗教観は生まれにくい。

なので、神仏混交というのは必然なんじゃないかな。明治になって神仏分離、廃仏毀釈てのが起きたけども、これも西洋文明の輸入によって、という面があると思う。思うだけだけど。

科学という世界へのアプローチ方法というのは実はキリスト教的≒砂漠の宗教的なもの<ではない>という意見もあり。
そもそも科学的視点、思想が生まれたのはギリシア・ローマ時代であり、その時代の宗教観・思想というのは必ずしも契約という考え方に沿ったものではない、とか。ヘレニズムの時代、グノーシスの時代に科学的思想は偏在していたと。

だから宗教観と科学的思想・視点を結びつけるのは慎重にしなくちゃいけない、と友達に言われたっけなあ、とウケウリをしてみる。

かっち:

 うを、こんなラクガキにまともなコメントを、と思ったら隼ターボのnomad氏ですか…ガクブルです。今後ともヨロシクです。

 えーっと、冒頭からしてグダグダなんでアレですが、日常のちょっとした思い付き、ネタとネタの混合で方程式が出来ちゃうと書かずにはいられない性分のようです。たとえばオカルト批評をするならもっと適当なオカズを選ぶべきだったなぁ…。

 MovableTypeのカスタマイズなんかもそろそろ手を付けなきゃなぁ…と、他所様のblogを見るたびに思います。

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2006年09月04日 01:25に投稿されたエントリーのページです。

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