タイトルからして何という変換だ。imeは馬鹿か。やる気が萎えると同時に、今から書こうと思っていた内容が例によって結論無しの尻切れ蜻蛉であることが判明した。尻切れで破綻するのはいつもの事だが、書く前に気が付くのは珍しい。怪我の功名というか、脱力が良い結果を生んだということだろう。
これで終わってはあんまりなので何かどうでもいいことを書き殴ることにする。今気づいたがオールオアナッシングというのは俺自身の性分でもある。何事も、やるからには他のことを捨てて全精力を投入したいし、それができないなら何もしたくない。昔っからそういう傾向があったが、近年はより酷くなってきたような気がする。
車の洗車にしてもそうだ。2年ほど前に諸事情あってトゥデイに乗ることになり、いつでも壊せる実験車とはいえ洗車くらいは…と思って洗車場に行った。春だったと思う。シャンプーをかけ、部分的にトラップ粘土で汚れを取り、ボンネットをコンパウンドでシコシコ磨く。日が暮れてきたが気にせず磨く。『細目』の次は『超細目』だ。フェンダーもシコシコ磨く。暗くなってきた。気温はヒトケタ、手はかじかみ、耳が痛い。生命の危険を感じたところで大急ぎでワックスをかけ、拭き取って撤収する。
しかし当初から傷や凹みの多いボンネットは、期待していた艶とはほど遠いレベルにしか仕上がらなかった。翌日、盛大に砂を含んだ雨が降り、青空駐車の車は泥だらけになった。わかってはいたが、雪解け頃の札幌なんてこんなもんだ。以来、まっとうに洗車をした記憶が無い。更に、冬に鉄スコップで雪を下ろしまくったのであちこち傷だらけだ。もうスタンド洗車機でよろしい。
最近は魚をバラすのが楽しいとか平和な事を言っているが、昔はカレーをよく作ったもんだ。大量の玉葱を全てみじん切りにし、肉に下味を付け、ジャガイモ・にんじんの皮を延々と剥き、それぞれをボウルに入れる。入りきらないのでバケツにも入れる。大きい鍋に玉葱と油を投入し、炒め続ける。炒めることそのものが人生の目的に思えてきた頃、ようやく別鍋で(中略)成する。その量は一人暮らしにはかなり多めで、自宅に引きこもって毎日3食カレーを食い続けても1週間くらい持った。爾来、俺にとってカレーとは廃人仕様食品として確固たる地位を得ることになる。
そういえばしばらくカレーを作って無いな、と思っても思い出されるのはその圧倒的な量と完成までの手間である。しかも一度作ったらしばらくは食い続けなければならない。後半は醤油やソースやヨーグルトやリンゴとハチミツ、インスタントコーヒーなど色んなものを投入するので、それはそれで楽しいけれど。当時は激安特売日にチャリで玉葱5kg、肉2kgなど買ってきて一気に調理したが、今は多少は経済的余裕もあるのでそんな苦行はしたくない。というか昔みたいに引きこもり廃人生活は無理だ。やれるもんならやりたいが。カレーはちょっと作っても不味いのは目に見えている。よって家では作らないことにする。
一事が万事、って程でも無いけど行き過ぎると病気かも。部屋の掃除についても書いたんだけど、あまりにあまりな内容なのでやっぱヤメ。いくら消化試合とはいえもう27歳だしな。
コメント (2)
カレーは一食分ずつ小分けにして冷凍するのだよ.
投稿者: あっきー | 2006年09月06日 20:47
日時: 2006年09月06日 20:47
そんな妥協は許せん.
投稿者: かっち | 2006年09月09日 01:22
日時: 2006年09月09日 01:22