2006年09月29日

宗教学概論

 宗教とは何か。それはものの考え方、人生のありかた、世界の捉え方、をまとめた概念そのものだ。概念は言葉となって伝えられ、それを大まかに聞いて正しく理解し、賛同すれば立派な信者である。諸行無常だとか絶対性の否定に『激しく同意』する人は仏教徒もしくは仏教的な人間ということになる。信者はそれぞれの教義に基づいて儀式を行う。だが、儀式を行ったからといって信者であるはずもない。

 神とは何か。これは難しい、というより定義不能だ。なぜなら、神の定義はそれぞれの宗教によって異なるからだ。神道で謂う処の八百万の神々を、ゴッドと訳されてしまうともう全然違うものになる。絶対的な存在、その概念そのものの説明としてのゴッドと、万物に宿る精霊とでは塩と醤油くらいは違う。んが、あえて共通点をこじつけてみよう。神とはその宗教における世界観の説明に用いられる概念、てところか。例えて言うなら…『三角形ABCにおいて、線分BCにAから下ろした垂線とBCとの交点をDと仮定するとき、神はAでもBでもCでもなく、Dである』ってところか。この例は我ながら場外ホームラン級のファウルだと自負している。

 先の説明ではあまりにもアレなので補足すると、いろんな宗教において、神様というのは仮定された存在、考え方に過ぎない。ゴッドが万物を創世したわけではなく、万物の創造神ルドラサウム…もとへ。創造神を設定した世界観こそがユダヤ教なんかの一神教の肝である。神の存在について『ある・ない』を問うべきではなく、其処に『在る』ものなのだ。だから現実世界の諸問題を見渡して、宗教における『あるべき世界』との齟齬を評するのは、非常に冒涜的な行為と言える。ま、自分の脳内彼女の容姿を貶しても仕方ないでしょう。神ごときいくら冒涜したところで所詮天に唾するようなもの。

 神の定義、もう少し続ける。信者が集まって団体となると、多人数の便利の為に寺院やシンボルを建設したりする。同じ宗教の信者だから一緒に儀式をする、その為の施設でもある。さて、ここで各信者の祈る神は共通の神だろうか?『そんなの考えるまでもなく、当たり前じゃないか。その為の教会なのだから。』という人は、神そのものについてもう少し根本的に考えるべきだと思う。多くの人が同じ場所で祈る、この『場所』も、行われる『儀式』も、当然publicなものだ。しかし祈りの対象としての『神』はどうか。祈りはときに瞑想であり、ときに哲学的思索だったりするが、それは当然個々人の内面に向かうものだ。もう一度書くが、神とはどこかに『いる』とか『いない』とかいうものではなく、信じるものの心に『在る』、すぐれてprivateな概念である。

 『信じるものは救われる』。これを理解するには2つの問題の答えを出さなければならない。『信じる』とはどういうことか。そして『救われる』とはどういうことか。前者については、もういいだろう。その宗教における世界観・生き方・考え方に対する適度な理解と同意だ。では救いとは何か。より善く生きる事?何を基準に?他人から見てどんなに悲惨な人生でも、自分が満足すればそれで良いのか?また逆に、悲惨に生きる他人が幸せになれば、自分は救われるの?家内安全商売繁盛安産祈願、加持祈祷でご利益ホイホイ、で良いのか?いや、天は自ら助くるものを助く。祈りの代償としての努力という対価。救いはあくまで自分の努力によってのみ、与えられる、のか?それも違う。いくら努力したところで、癌が治るとは限らない。…神様を何だと思ってるんだ。僕はそれほど傲慢じゃないッ!
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 これでは袋小路だ。信仰の対価としての救い、という考えは根本的に誤りである。救われていないものが救われる、のではなく、『全ては既に救われている』と考えるのである。以下、紙数も少ないので簡潔にまとめるが、『信じる』⇔『(救われていることを)認識する』こと、となる。全てが救われているなら、こんなに幸せなことは無かろう。自分から何かをする必要も無い、何もしなくても皆に平等な救いがあると考えることで、平穏な気持ちになれるのだ。その答を信じることが信仰であり、それによって安心することこそが救いである。そうは言っても、目の届く範囲ですら不幸は多い。また、救いとは、自分のわがままを通すことではない。そんなとき、脳内神に祈る、また神の視点を意識することによって、不安を取り除き、より倫理的に公正に生きることができる。そんな都合の良い脳内神様も長い歴史でちゃんと形作られている。アラブ人のイエス像がギリシャ人風でもロシア人風でも日系二世でも良いではないか。

 そうは言っても安心の為に信仰を持つってのは、狭心症に救心じゃあるまいし、本末転倒だ。おおむねどの宗教も心の平安は大事にしてるみたいなので(原理主義とかカルト系除く)、エッセンスを理解して好きなものを選ぶと良いのではないかと思う。とりあえずヤン・ウェンリーは仏教徒てことで宜しく。

ブラックホーク・ダウン再び

 アフリカの地図出しておくか。

 あまり大きなニュースにもならないが、ソマリアはずーっと暫定政権とか暫定大統領のような気がする。それこそ90年代初頭の混乱、映画化された米軍(国連軍だっけ?)の介入以来、ソマリランドやエリトリアとのゴタゴタも含めてわけわからん状況が続いている。今年の初頭あたりに海賊騒ぎで何度かニュースになっていたけど、最近はどうだろうか。

 テロがらみでイスラム原理主義勢力が安住の地を追われている昨今、こうした不安定で貧乏な国はテロ団体の温床になりがち。っと思ってよく見たらソマリアって国民の9割がムスリムの立派なイスラム国家じゃないか。ソマリア・ジブチ・エチオピア・ケニアあたりでイスラム連合国を作る手もアリか。最貧国連合で欧米からは援助金たんまりもらい、中朝に資源輸出で目指すは核武装。目指すは夢と消えたアラブ連邦のアフリカ版だな。

 ヨタ話は置いておいてまじめに最近のニュースを漁ると、6月くらいに原理主義勢力が首都モガディシオを制圧したみたいね。ワールドカップの観戦を禁止・妨害して死傷者が多数出たり、早くも香ばしい状況が展開されている模様。ソマリランド vs 氏族連合に新たな勢力出現で、ソマリア三国志ってところか。みなさん政治的立ち位置、居住地域、宗教とぜんぜん違う次元でまとまっているので落ち着きようがありません。

 そうそう、イスラム教の国とは言っても、ソマリアのイスラム法廷連合みたいな原理主義者は普通のイスラム教徒とは一線を画して考えるべきだ。彼らは政治にイスラム法の施行を望んでおり、文字通りの原理主義者である。そんなもん不可能に思えるんだが、コーランに政治についての記述があるんだから仕方が無い。とある一時代、ムハンマドにはじまるイスラム国家が中東を席巻した昔ならともかく、神学校も重婚もヒゲも現代では無理がある。ヒゲは許すが。

 首都を制圧した法廷連合だが、ソマリランドやら氏族レベルでの抵抗勢力との共闘のため(?)、旧政権(相変わらず暫定政権だが)とはすぐに休戦した模様。しかし旧政権のバックにつくエチオピアが偵察部隊を派遣、法廷連合が抗議するとエチオピア政府はこれを否定。もうわけがわかりません。エチオピアといえばエリトリアとは長く国境紛争があったけど、エリトリアが介入するとすると間にはソマリランドがあるという複雑さ。

 コンゴではようやく選挙、スーダンも15年来の騒乱に終止符を打ち平和宣言、一方では混乱収束の兆しも見えるのに、あいも変わらず十年一日のごとき紛争地域もある。…スーダンのバシル大統領はワシントン・ポストの関連誌による「世界最悪の独裁者10人」2年連続で第1位、あの金総書記を首位から引きずり下ろしてますが。ま、中の人が平和ならいいんじゃないでしょうか。昔は独裁者つーとアジア地域が名門だったけど、最近じゃ金総書記くらいで寂しいね。ミャンマーだかの議長とか中国の胡主席には頑張れ。超頑張れ。とエールを送らせて戴きます。

 話がそれた。政治が中世レベルのアフリカでは、外交なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム。ビスマルクのようなバランス感覚の良い政治家が現れて欲しいけど、現状では無理な相談だ。とすると織田信長やアレキサンダーの方がいいのかな。イスラームの呪縛を排除し、民族や宗教を超越した大アフリカ主義で世界新秩序の建設に邁進して欲しい。とすると兵器は東側、ロシアや中国製が主体なわけだけど、T90とかって砂漠で運用できるのかな?人間は山ほど居そうなのでメルカバは要らんと思うけど。それ以前にイスラエルから買えるわけないか。戦闘機もクフィルとかミラージュじゃなくミグやスホーイが主力。Su-25はコンゴ内戦やらコートジボワールで実績あるな。A-10との対決には萌えるものがある。

 腹黒いものが夕暮れ 更に黒いものを叩く。アフリカはいつまでたってもこのループから抜け出せないわけだけど、大国の出現を許さない欧米の詰め将棋が上手いのかな。しかし案外このままちょっと平和になって、教育レベルと安定した選挙が行われれば、健全なナショナリズムが育って立派な軍事独裁国家が出現するやもしれん。先に「民族や宗教を超越し~」て書いたけど、これってモロにイラクの旧フセイン政権だな。大イラク主義、要は中華思想で国をまとめ、反対勢力は侵攻、併合。当然周りは敵だらけになる。イランはイスラム原理主義国家なので敵、王政のサウジやクウェートは論外、エジプト&シリアはアラブ連合のライバル。ちと中東は敵が多すぎるな…長年の宿敵イスラエルが強すぎるし。謙信と信玄のようなものかも知れん。

 宗教と欧米がさしあたっての敵、てことになると味方はロシアと中国。世界三大馬鹿国家のうち過半を味方につけるわけで、遠交近攻の原理にも適ってるし悪くないと思うんだが。人口の多いアフリカの国家が、人海戦術でガンガン押しまくるのは共産主義的で実によろしい。その際は是非とも政治将校の役をやらせてくれ。そして不安顔の新兵に『上陸したら「銃か弾」を受け取れ!』ってセリフを言わせてくれ。敵が一万発の弾を持っていたら二万人の兵で突撃すれば勝てるのだ。アフリカにはMig29ファルクラムやSu35フランカーを買う成金国家もあったな…おっと、ここは夢を語る場では無かったか。

 いまさらに懺悔しておくと、最初は経済のグローバリゼーションと、それによる破綻国家の続出に見るパラドックスを考えてたのよ。ソマリアがちと萌える情勢になったのが悪いんじゃい。あと、福井晴敏。戦国自衛隊リメイクする暇があったらそいつらアフリカに送れよ。戦国もアフリカも大差ないだろ。太平洋戦争に送るのだけはカンベンな。志茂田景樹になっちまう。和服着て空にAK47バリバリ打って星条旗燃やすのもそれはそれで面白いからアリだけれど。

2006年09月15日

なぜ戦争は起こるか

 に、ついてあれこれ書いてみたがとりあえずヤメ。どうも話題が拡散しすぎる。いつものように適当に書き散らして着地ポイントを探ろうにもわけがわからん。ので、随想風に。

 戦争、ここでは国家間の戦争について考えるが、そういう現象がなぜ起こるか。俺にとっては考えること自体が難しい。なぜなら、現代に見聞する多くの戦争は『相手が問答無用で攻めてくる』ところから始まるからだ。古代~近代(といっても60年前くらい)については戦争そのものは別段犯罪でも何でもないし、王でも大統領でも外交の延長線上にある選択肢のひとつだ。攻めるにせよ守るにせよ、起こってしまったからには相手を全力でブチのめし、政略目的を達するために奮闘するしかない。

 戦争絶対反対を唱える人、我らが日本だと憲法九条を金科玉条として崇め奉る向きは多い。そういうファンタジーに身をゆだねるのは勝手だが、現代も世界中さまざまな場所で戦争は起こっている。戦争反対の主張の根底には --あくまでもそれが理性的なものとして、だが-- 戦争をすると損をする、という思考法があるように思える。ここでいう損、というのは殺し殺されることに対する倫理的な禁忌も含めてのことだ。首都を焦土と化し、全面降伏した戦争が原体験としてその主張の根底に横たわっている…とか尤もらしい流れに持ち込むこともできるけど、ちょっとあざといかな。

 平和運動もむなしく、今日も世界のあちこちでドンパチやっている。ひとつ言えることとして、戦争当事国にとっては当面戦い続けること以外に選択肢が無いということだ。全面降伏もできないし、といって休戦するくらいなら初めから戦争などやらぬ。自分の主張が実現するまでは終わることは無いだろう。ここ60年くらいは中東で何度も戦争が起こっているが、アレを終わらせるには聖地ごとイスラエルを核で焼き尽くすくらいしか無かろうと思う。…イスラエル消滅させても中東の国家同士で内戦になるのは目に見えてるけど。それでもアフリカよりはマシなのかな。

 相手を土地ごと消滅させるとかならともかく、コロニー落としも不可能な現代。恒久平和とか電波を飛ばしても何の解決にもならない。俺としてはせいぜい自分の生きている限りの平和を望む。その、短期的な平和なら多くの地域で実現されている。日本や欧州(東欧の一部除く)はそれなりに平和だし、複数次の中東戦争で主導的な立場にあったエジプトも今は(治安が悪いとかはともかく国家として)平和を維持しつつある。やはりパワーバランスの中で対外的に見ても戦争が損になるような状況を作り出し、それを維持するしか無いように思える。安易な軍備の縮小は対内的には平和に近づくように見えるが、侵略の危険を増やすことにも繋がる。野心的な国は表向き平和万歳を唱えて時機を待ち、安易に武装解除したところを電撃戦で一気に侵略する。何のことは無い、共産圏の常套手段だ。

 それはともかく、現実に長い戦争で混乱している地域では、政策に占める戦争の優先順位は極めて高い。日本のようにアメリカや西側諸国の傘の下では国連・国際社会の影響力というのは大きいが、中東やアフリカ大陸ではそうでもない。以前イラクのフセイン政権が国連の査察を受け入れるかどうかで揉めたりしたが、国際法・国連無視の常習犯のイスラエルが隣に居てはまともに聞く気にはなれまい。国連をバックに発言するアメリカはダブルスタンダードもいいとこである。

 ヨルダン・シリアといった元アラブ連邦にしろ、法を守ったところで誰も褒めてくれないので、彼らは今日もお互いにテロ・空爆・侵攻・占領をやりあっているのである。例によって拡散してきたのでまとめると、この状況を打破するには経済、教育のかつてない向上が必要で、それには㌧でもなく時間がかかる。戦争そのものが成長を妨げているし、砂漠化も進み原油くらいしか産業が無い。うまいこと『食うには困らず、周辺諸国民と会話できる、常識の共有化』がある程度すすめば戦争も減るでしょう…人類滅亡のが先かな。

 不真面目な俺のスタンスとしては、はっきりいってどうでもいい…と、本音は置いておいて。日本は…対外的には、最強の武器を持つジャイアンの傘の下に居るので、起こってしまった戦争はさっさと終わらせるべく最大限の支援策を打つべき。その過程で儲かればウハウハです。紛争当事国を全て応援して長引かせる手もありますが、そういった英国式はもう古い。今は思いっきり介入、利権確保、コレ。うまく行けば次の選挙も圧勝間違いなし。しかしこれをやると他国にマークされる諸刃の剣。

 対内的には、もう少し日本国民を大事に扱ったほうがよかろうと思う。自国民は最も大事だ。外国人や移民に便宜を図るのも福祉の一環ではあるが、行きすぎは良くない。スウェーデンなどは初めから破綻が予見されていたがやっぱり破綻し、国民の若者の多くがナチズムに走る状況である。ソ連崩壊後のロシアも同様。ここ10年の流行だろうか。現状では日本はかなりの純度の単一民族国家ではあるが、潜在的な移民を抱えているため、今後ナチズムの蔓延も無しとは言えない。高齢化社会とはいっても寿命の伸びにも限りがあり、今の若者が中年になり選挙に行く頃には次の標語が流行るかもしれない。『Ein Volk!(一つの民族)、Ein Reich!(一つの国家)、Ein Recht!(一つの法)』

 その後同様に移民でボロボロのドイツ・アメリカ枢軸と手を組み、新三国同盟で今度こそ世界征服の為に、再びアジアを席巻-----
ありゃ。何か間違った。何が悪かったのか。

2006年09月14日

コゾー、憧れの2輪

 最初に言っておくが、俺はあくまでも4輪乗りで2輪に関しては免許も無ければ知識も無い。しかし初めは誰だって無免のコゾーだったわけだ。齢27にしてコゾーを名乗るのはどうかと思うし、『いいトシこいて』というかこき過ぎだろう。まっとうなライダーの方は本エントリを真剣に読まぬほうが良かろうと思う。

 昔、うちの実家にはショボい50ccのスクーターがあり、主におかんが乗っていた。あれは俺がまだ小学校の頃、一人トボトボと学校から帰宅していると偶然おかんに遭遇した。それで30mくらい前に乗せてもらって走ったが、あまりチャリと変わらないし安定しているように思えた。正直言って『こんなもんか』程度であり、その後数回親の留守に鍵を(中略)だけで、興味を失った。

 その後高校の頃、一緒によく遊んだ悪友がNS-1に乗っていた。エンジンは50cc(2スト)ながらも素人からみてちゃんとバイクの形をしており、至って真面目な高校生だった俺の目にはとても本格的に見えた。相鉄線和田町駅から横浜国大付近までノー(中略)どうだろうか。やはりNS-1は後部のガソリンタンク付近が破損してる個体が多いのかな。

 その後いろいろあって、札幌から半年ほど川崎に舞い戻っていた時期、この悪友と再会しちょくちょく走ることになる。あれから6年ほどの月日が経ったにも関わらず、彼は未だにNS-1に乗っていた。2輪の免許を取らないのかとか以前に、こいつに乗っていて4輪の免許を維持するほうが大変だと思うが。おそらくガソリン代以上に反則金を払っていたのではないかと推察する。この時期はおかんが持ってきたスクーターのDioを駆り、稲田堤から甲州街道経由で新宿まで通勤した。冬は寒くて閉口したが、例のグリップカバーがあれば常にバイクで行っていたかもしれない。

 その友人が何を血迷ったかCD50をヤフオクで入手し、彼のNS-1、俺が乗る激調整不良のCD50の2台で深夜、池袋、お台場、横浜を回ったのも良い思い出だ。2輪の免許が無いのに原チャリだけでスクーター、ロードスポーツ、ビジネスバイクと別々のミッションを動かしたのは貴重な経験になったと思う。まあちゃんとした社会人なら中免取ってNS-1を51cc登録すべきなんじゃないかと思うが違うか。違うな。

 札幌に戻ってきてからは気の迷いで買ったトゥデイ(4輪のほう)をゲタ代わりに乗っているが、正直ここまでいじるとは思わなかったしそれ以前に壊れると思っていた。今でも整備するときはぶっ壊す気マンマンで、いったい直そうとしてるのか壊そうとしてるのかワカラン無鉄砲っぷりだが、幸いにして素人にはそこまでの整備スキルが無いため大事には至らない。それにしても北海道で困るのは冬の厳しさである。屋外駐車場では整備どころではない。4月からは屋根つき車庫になったが、それでも氷点下でのオイル交換など考えただけで気が滅入る。

 そこへいくと2輪は楽である。シーズンオフには何をどうやっても走れなくなるので、妙な未練を抱く必要も無い。ついでに冬タイヤ代も要らない(余談だが、郵便は真冬でもカブで走っている)。4ヶ月は引きこもるので、車庫保管のついでにエンジン下ろして部屋に持ち込んでイタズラもし放題。1/1スケールで実用可能なプラモと考えるととても魅力的だ。住んでいるとあまり実感が湧かないのだが、北海道はどうやらバイク乗りにとっての聖地らしい。車でもアホみたいな長距離を走るのが大好きな俺にとってはうってつけ。

 ところで今売ってるバイクってどんなのがあるのだろう。そう思ってホンダスズキヤマハカワサキのWebを順繰りに見た俺は顎を落とした。俺の大好きなフルカウルのレーサーレプリカがほとんど無いではないか。バイクではアホみたいなスピードは(怖いし)出さないから、せめてアホみたいなスピードが出せそうな形をしていて欲しいのに…。何ということだ。もう夢も希望も無い。世も広末だな。

 そうなると中古か…と思ってアレコレ見てみると、平気で80年代~90年代前半のバイクが流通している。車だとかなりタマ数が減る年式でも2輪なら平気だ。バイクは雨ざらしで朽ち果てていくイメージがあったが、そうでもないようだ。よくよく考えると走行距離は車より短いし、雨ざらしでは泥だらけで乗れないので車よりも屋根つき保管率ははるかに高い。しかも北海道では年の三分の一はシーズンオフだ。耐久性の低い高回転型エンジンも、整備しやすさとコストの安さでだましだまし延命されているのだろう。ついでに整備も(練習)させてくれるとは、これは都合が宜しい。程度問わずのゴミを拾ってきて弄るのが良かろう。免許取得への意欲がそこはかとなく高まるのを感じた。

 結局、いつもいつも修羅道を選んでるような気がしなくも無いのだが…

2006年09月13日

後知恵戦記・旧軍批判の愚

 『硫黄島に死す』著者:城山三郎
休日の暇つぶしに読書でも、と思って引っ越し以来未開封の段ボール開けたら一番上がこいつ。その次が司馬遼の『殉死』。タイトルだけで一日の元気を使い果たしたので読まずに箱に戻す。

 硫黄島上陸作戦は昭和20年初頭の頃。この時期になると戦況はかなり厳しい。枢軸側では大勝どころか引き分けも難しく、開始直後に零戦52
もとい。読むところを間違えました。

 この時期は太平洋方面も戦争の趨勢は見えてきた状態で、あとは時間の問題。一時期はハワイ・オーストラリア・インドを望んだ大日本帝国も、特攻とか玉砕とかそんな感じで無条件降伏への道をローラースケートで駆け抜けていくことになる。第二次大戦モノの小説・評論なんかはそれこそ腐るほどあるんで全容を把握するのは不可能だと思われる。浅学ながらいままで眺めたものを考えると、それぞれ戦術戦略への反省点が異なっていて面白い。

 例えば、航空機や船舶の開発方針に対してアレコレ言うのは完全に後知恵という奴で、俄かには首肯しかねる意見が多い(大和級戦艦の開発、4発の戦略爆撃機や大型エンジン搭載の局地戦闘機の不備、誉エンジンの不調問題など)。まぁダイムラーの水冷エンジンのライセンス料を陸海軍で別々に支払った件なんかは何を言われても言い返せない気がするが。良く目にするのは零戦後継機の開発失敗だが、これは大馬力エンジンの開発能力が無い時点で不可能である。そもそも栄エンジンもコピー、改良品だし。

 ゼロ戦神話はもはや定説というかなんというか、宗教的なものを感じる。そもそも生き残りパイロット自身が格闘戦を否定し、高空からのダイブで強襲するのが安全かつ効果的、と多方面で証言しているのだが…。最初期における中国方面での戦闘を除き、米海軍機との戦闘はそのほとんどが単純に『数が多い方が』勝っている。戦記でザコ扱いされるF4F相手ですらそうだ。

 作戦上の突っ込みなんかも後知恵ばかり。ミッドウェーの兵装交換、レイテでの反転なんかはいずれもしかるべき理由があってやったことで、裏目に出たからといって批判したり、その点だけひっくり返してIFネタにしても無意味というか…思考実験としては面白いし、話も良ければ読むんだけど(佐藤大輔とかまだ書いてるのかと)、解説文が明後日の方を向いていたりして気が萎える。

 あさっての方向といえばマスコミ報道・ドラマなんかもそうか。『軍部がアホだったので、多くの若者が特攻させられました。』硬派ニュース番組もワイドショーのレベルに堕す。これじゃ『ベンチがアホやから、選手は野球がでけへん』という某名言と変わらん。昭和20年3月あたりの状況、60年前の国際社会をもうちょっと考え(中略)語り出すと日が昇るのでこの辺にしておく。もう一度書くが、実際に竹やりで抗戦出来るかどうかは問題では無いのだ。

 そんなわけで、サイパン~硫黄島~沖縄戦あたりの戦いと特攻は無理無茶無駄ではなく、絶望的な状況下で国体護持の為に取れるほとんど唯一の策だ。『降伏しても大丈夫かもしれない』なんて希望的観測で決断を下す政治家は居ない。特攻に関して人道的に云々するのと、それを現実に作戦として立案実行するのは全く次元の異なる話。あくまでも味方を有効に殺す為の選択肢のひとつとして選ばれたに過ぎない。結果は、米軍の本土上陸作戦のタイムテーブルを大きく狂わせ、日本は今日も独立を維持している。あ~硫黄島に五式中戦車が大量投入されていればさらに大きく…沖縄上陸作戦の代わりに東京原爆投下が行われたかな。その後はもちろん米英仏独 vs ソ連の大激戦だ。西側陣営は手持ち戦闘機部隊をジェット化して臨もう。'46年初春、雪煙を衝いて現れたのは、トルーマンの援助によって再生産されたティーガーII部隊!それを迎え撃つはスターリンの大号令の下、大増産されたJS-3とT-34/75の大部隊!最強MBTの座を決めるべく、約束の地プロホロフカで、第五次ハリコフ攻防戦の幕が上がる…

 すいません、また読むところを間違えました。しっかし、インパール作戦は弁護しようもないな。

2006年09月09日

予備ノートPCのススメ実践編

 さて手持ちのノートPCはDynaBook Satellite 2270
SA65C/2
である。メモリは入手時点で192MBに増設されている。CPUはCoppermine-128コアでFSBは100MHz、SSEが使える等、Pentiumiiiの系列。

 とりあえずBIOSをアップデートし、ついでにSpeedStepやACPIをDisableにする。Windows2000をインストールするときは最初にF5キーで『標準PC』のHALを選択する。非常時PCに環境性能など心の贅肉である。内部コネクタでPCI接続のNICは(どうもダイヤルアップモデムと交換可能らしい)intel 8255x系統の汎用ドライバで無事に認識する。グラフィックはTrident9525DVDで、これも問題なかった。MPEG2再生支援がありそうな型番だが当然CD-ROMモデルなので関係無い。結局モニタ以外は素のWindows2000で全て自動認識し、モニタも手動でToshiba 800*600 internal panel を組み込んでやることで正常に認識した。

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 冷却系統で多少の不安があったのでバラしてみると、はたしてCPUは粘性のある熱伝導シートで覆われていた。3mmくらいの熱伝導シートを介してアルミのヒートシンクに繋がり、そこに組み込まれた遠心ファンが送風するシカケだ。冷却構造自体は近年のVGAチップに近似している。熱伝導シートの材質はちょうどPlayStation2のCPUに付いていたものに近いようだ。画像の左下に落ちているのが剥がした熱伝導シート。
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 熱伝導シートの性能には疑問があるので、超高性能シリコングリスを…持っていなかったので、落ちていたハンドクリームを塗布して組み立てた。起動時のメモリ使用量は70MB弱。骨董PCといえども十分なメモリを積み、風水変造を施せばWindows2000も矢のように速く動作する。ServicePack4を適用し、次にWindowsUpdateしようとするが初回のみ非常に重たい。更新リストさえ出てくればネットワークは速いので、サクサクと進む。ただノート用HDDが致命的に遅いので、ダウンロードよりもむしろ時間がかかる。暇な空き時間でJavaFlash、ffdshowなどを導入する。最後にデフラグを2度ほどかけて終了。

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 仕上がったマシンはWeb閲覧用としては文句の無い性能で、gyaoの視聴も問題ない。Windows2000のサポートが打ち切られるまではサブマシンとして磐石の地位を築くであろう。通信速度はこちらでの測定によると下り65Mbps、上り25Mbpsとのことで、CPU速度がボトルネックになることはなさそうだ。

予備ノートPCのススメ

 形あるものいつか壊れる。PCも例外ではなく、使い続けているうちにいつしかハードディスクは擦り切れ、コンデンサは電解液を漏出し、全てが朽ちていくことになる。

 当然そうなる前にデータの移行、機種の更新といった作業が行われることになるが、ここ五年程はPCの速度・快適性の面での向上が(それ以前の数年に比して)乏しい。趣味のものであれば小遣いで更新できるが、経費となるとそうも行かない。速度面では十分ながら、古いPCを騙し騙し使っている方も多いのではないだろうか。

 さてPCが壊れると一大事である。壊れ方にも様々あるが、自宅で1台で使っていたPCのHDDがクラッシュしたりすると大惨事である。データの救出は絶望的、リカバリしようにもHDDリカバリ領域は起動せず、リカバリ用CDも見当たらない、ついでに保証書も見当たらない、という状態。こうなるとやる事は無いので不貞寝するしか無い。暇を見つけて販売店に持ち込んで修理、それも上がりまで数週間かかるのはザラで、その間メールもネット閲覧もできないのは不便だ。代替機にサブノートでも検討しようとPC屋を覗くと、それなりの出費となり悩む…

 こんなとき、予備ノートPCがあるととても便利だ。とりあえず緊急避難用として、メインPCが壊れてすぐに予備が出せるようにしておくと宜しい。別にノートである必要も無いのだが、場所をとらない、モニタやマウス等周辺機器が不要でシステムとして完結しているのが宜しい。さて、ノートPCといっても色々あるが、予備ノートとして使いやすいのはどの辺であろうか。面倒なので結論から書いてしまうと、2000年~2001年頃のWindows2000モデル、法人向けノートが手頃かと思われる。以下に理由を述べる。

・手間が無い
 インストールはWindows2000のCDのみで全てのドライバが読み込まれる。この手のノートPCはインテル製のチップセット周り、LANをはじめとしてTI製PCカード等、だいたいのデバイスが『出たときに既に古い』。鬼門のグラフィックも3Dのパフォーマンスは諦めた仕様で、TridentやNeoMagicなんかのチップが多く、ドライバでは困らない。個人向けWindowsMeノートはオマケ満載でドライバで困る上、肝心のLANが無かったりしてイザというときに手詰まりになりやすい。緊急用という性格から、HDDリカバリは初手から諦めるべきである。

・安い
 これより新しく、CPUがGHzオーダーのクラスのWinXPモデルだと少し高い。グラフィックをはじめ新しめのデバイスが多いためドライバ周りで余計な手間を取られる。高速なCPUの利点も重たいWinXPで相殺である。

・必要最小限のスペック
 更に古いモデルに汎用のPCカードLANを組み合わせる手もあるが、CPUが更に遅く、メモリも64MBといった仕様では軽量なWindows2000でもちと厳しい。初代VAIOノートに純正外付けCD-ROMドライブ、といった組み合わせは心躍るものがあるが、HDDの寿命、値段等の諸要素を勘案すると浪漫を求めるムキにしかすすめられない。

2006年09月06日

all or ナッシンぐ

 タイトルからして何という変換だ。imeは馬鹿か。やる気が萎えると同時に、今から書こうと思っていた内容が例によって結論無しの尻切れ蜻蛉であることが判明した。尻切れで破綻するのはいつもの事だが、書く前に気が付くのは珍しい。怪我の功名というか、脱力が良い結果を生んだということだろう。

 これで終わってはあんまりなので何かどうでもいいことを書き殴ることにする。今気づいたがオールオアナッシングというのは俺自身の性分でもある。何事も、やるからには他のことを捨てて全精力を投入したいし、それができないなら何もしたくない。昔っからそういう傾向があったが、近年はより酷くなってきたような気がする。

 車の洗車にしてもそうだ。2年ほど前に諸事情あってトゥデイに乗ることになり、いつでも壊せる実験車とはいえ洗車くらいは…と思って洗車場に行った。春だったと思う。シャンプーをかけ、部分的にトラップ粘土で汚れを取り、ボンネットをコンパウンドでシコシコ磨く。日が暮れてきたが気にせず磨く。『細目』の次は『超細目』だ。フェンダーもシコシコ磨く。暗くなってきた。気温はヒトケタ、手はかじかみ、耳が痛い。生命の危険を感じたところで大急ぎでワックスをかけ、拭き取って撤収する。

 しかし当初から傷や凹みの多いボンネットは、期待していた艶とはほど遠いレベルにしか仕上がらなかった。翌日、盛大に砂を含んだ雨が降り、青空駐車の車は泥だらけになった。わかってはいたが、雪解け頃の札幌なんてこんなもんだ。以来、まっとうに洗車をした記憶が無い。更に、冬に鉄スコップで雪を下ろしまくったのであちこち傷だらけだ。もうスタンド洗車機でよろしい。

 最近は魚をバラすのが楽しいとか平和な事を言っているが、昔はカレーをよく作ったもんだ。大量の玉葱を全てみじん切りにし、肉に下味を付け、ジャガイモ・にんじんの皮を延々と剥き、それぞれをボウルに入れる。入りきらないのでバケツにも入れる。大きい鍋に玉葱と油を投入し、炒め続ける。炒めることそのものが人生の目的に思えてきた頃、ようやく別鍋で(中略)成する。その量は一人暮らしにはかなり多めで、自宅に引きこもって毎日3食カレーを食い続けても1週間くらい持った。爾来、俺にとってカレーとは廃人仕様食品として確固たる地位を得ることになる。

 そういえばしばらくカレーを作って無いな、と思っても思い出されるのはその圧倒的な量と完成までの手間である。しかも一度作ったらしばらくは食い続けなければならない。後半は醤油やソースやヨーグルトやリンゴとハチミツ、インスタントコーヒーなど色んなものを投入するので、それはそれで楽しいけれど。当時は激安特売日にチャリで玉葱5kg、肉2kgなど買ってきて一気に調理したが、今は多少は経済的余裕もあるのでそんな苦行はしたくない。というか昔みたいに引きこもり廃人生活は無理だ。やれるもんならやりたいが。カレーはちょっと作っても不味いのは目に見えている。よって家では作らないことにする。

 一事が万事、って程でも無いけど行き過ぎると病気かも。部屋の掃除についても書いたんだけど、あまりにあまりな内容なのでやっぱヤメ。いくら消化試合とはいえもう27歳だしな。

2006年09月05日

最適オイル粘度のナゾ

 俺の普段使いのオイルは純正指定と同じく10W-30だ。軽自動車にこだわっても仕方ないし、壊れなければ何でもよかろう。オイル交換は品質よりも頻度が重要である。もちろん、高品質なものをちょくちょく交換するのがベストだろうが、地球と女性にやさしい当研究所としてはエコの観点からもオススメできない。

 ともかく、オイルや添加剤教には関わらないようにしてきたのだが、ちょっとした拍子に良いオイルを入れてもらった。フル化学合成で12.5W-40というシロモノで、プライス等から想像するにこのあたりではないかと思われる。オイル銘柄を変えたところで気休め程度の効果も無かろう、と思っていたら意外な所で効果を確認できてしまった。ブローバイの量が減ったのだ。直接それとわかるわけではないが、トゥデイのエアクリーナの下部はオイルで汚れる。その汚れの量が目に見えて少なくなった。

 銘柄云々は置いておいて、高温時の剪断抵抗が安定して高いオイルが、結果的に経年劣化・磨耗でクリアランスの広がったエンジンにマッチしたということか。確かに旧車では機械抵抗を無視し、20W-60なんてオイルを使う。ブローバイの量に影響するほど油膜保持性能が変わるとすると、エンジンの実効圧縮比すら変わってくるかも知れない。

 固いオイルで圧縮比が上がるとすると、当然の事ながら膨張比も上がる⇒比出力が向上する。つまり全開走行時の出力が上がり、巡航時はアクセル開度が小さくて済む。なんだか巡航時はポンピング損失が増えそうな感じだが、結果として吸入空気量が少なければガソリン消費も少なくなる。適度に固いオイルは燃費を向上させるのだ。

 最近の小排気量車は0W-20なんて柔らかいオイルが純正指定だが、これは工作精度の向上によってピストン・シリンダほかエンジン内部のクリアランスが以前より詰められているからだ。油膜も圧縮比も十分保持できる設計になって初めて、剪断抵抗の低減を考えられる。よって旧車に柔らかいオイルを入れても良いことは無いし、燃費だってヘタすりゃ悪化するかも知れない。

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 さて、交換の時期になって何となく入手したオイルは10W-50、フルシンセティックのレーシンググレードである。量販店ではあまり聞かないメイクだが試す価値はあるだろう。3缶写っているが自分で使い切るつもりなので、希望のムキはこちらなどで入手して欲しい。ちなみに20L缶だとY!オークションで16000円送料別くらい。交換作業だが、普通にジャッキアップして潜って下抜きで交換した。トゥデイだとドレンがオイルパンの底からさらに下に付いているので上抜きは難しそうだ。ドレンは17mmでメガネレンチで外すが、付近を通る触媒~マフラーに注意しないと火傷する。俺は豚革の手袋を愛用しているが、この手の作業に軍手を使うのは素人である。エンジンとオイルパンの形状からジャッキアップしたままだと抜けきらないので、ジャッキを徐々に降ろして更に抜く。事前にタイヤを外しておくとギリギリまで前傾させられる。
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 抜けたオイルを処理箱に移し、ドレンボルトをパーツクリーナで洗浄、前回交換時ワッシャを忘れていることを発見し、苦笑する。今度はワッシャを付けて取り付ける。ふざけたドレン位置の設計の関係で付近のマフラー(フロントパイプ)あたりがオイルまみれになるので、パーツクリーナで丁寧に洗浄する。もしくは後で走行して過熱して白煙とする。ここで予期せぬエラー発現。オイルエレメントの予備が2個もあるのに専用レンチを紛失したようだ。仕方が無いので素手で外そうとするが、さすがに無理である。付近にエキマニがあるので腕が火傷しそうだし、奥まっていて力が入らない。エレメントは前回も交換したので今回は見送りとする。

 気を取り直して新油を計量ボトルに入れ、エンジンヘッドカバーのフィラーキャップから注ぎ込む。目分量で2.8Lほど入れたら、レベルゲージで確認する。多すぎた。ゲージの上の印から更に5ミリほど多い。まぁ実用上問題無かろう。気が向いたらエレメントだけ交換する予定なので、その分と考えればちょうど宜しい。軽くその辺を走って問題ないことを確認、で終了。

 以前ヘッドカバーパッキンを交換し、直ったかに見えたオイル漏れ、実はタイベルカバー付近?からも漏れていたことが判明。漏れというか滲みレベルなので放置する予定だが、直すとするとエラいめんどくさい部分だ。ついでにタペット調整なんかもできるな。雪が降る前にやるか、このまま冬を越すか、微妙な選択肢である。

2006年09月04日

オカルト多事暴論

 そもそもオカルトとか『秘されたモノ』の意で云々、(中略)、古代より人間の本能に訴える畏れの念が云々、(中略)やっぱりヤメ。いつもながら毒にも薬にもならん。といってもまっとうに書くと暴論だしな。占いとか心霊現象とか、バカじゃねぇのか、小学生じゃあるまいし、みたいな。いやいや、卜占の類の様式なんかは各地の土俗宗教・民間伝承を語るのには欠かせない。霊魂の存在・在り方なんかも同様。占星術にしたって天文学の発祥と結びつけて語れないことも無さそうだし。なんだか京極夏彦の小説みたいな言い訳だな。そんなことが言いたいんじゃないんだが。

 なんかもうグダグダだから方針転換することにする。先日の稚内行きで示したように、クルマの燃費なんて走行条件でかなり変化する。一般的に新しい車=燃費が良い という方程式がなりたっているようだが、ガソリン1Lから取れるカロリーが変わるわけでも無し、実際には古くても大差ない。衝突安全云々で重くなった分を、ギリギリのエンジンチューンとワイドなギア比で相殺しているだけである。

 ガソリンが高騰しているせいもあるのか、ホームセンターやカー用品店では燃費向上グッズが乱舞している。どれもこれも俺から見ればカスなのだが、売れているのだろう。中には効果が無いばかりか逆効果になりそうなシロモノさえ見受けられる。中でも老舗といえば『アーシング』ではないだろうか。ご存知のムキには蛇足になるが、クルマは普通バッテリのマイナスからボディアースされていて、その配線を新たに増やすことだ。

 バッテリー(実際には交流発電機)⇒負荷⇒接地 の回路で考えると、負荷で消費される電力はW=IE。もちろんV=IRなので、負荷以外の配線抵抗が減ると、負荷で消費される電力は増える。発電負荷が増えるってことなのだ。こんなのはわざわざ書くのもアホらしい…以前にめんどいくらいなのだが、こんなオームの法則の初歩の初歩もわからん人が多いのだろうか。電池と豆電球で考えても答えは出るのだが。

 アーシングでセルの回りが良くなったり、ライトが明るくなったり、オーディオのノイズが減少するってんならまだわからんでもない。んが、燃費が良くなる、加速が良くなる、なんてのは間違いというか大嘘だ。そうかと思うと、最近ではヒューズが熱いんだそうである。ヒューズというのは…電気系統のショート等の理由で大電流が流れそうになったとき、重要パーツが壊れるのを防ぐための…面倒なのでhttp://www.tydkk.com/ritz-sf/lineup.htm#この辺でも。こんなの良く思いつくなぁ、と思うがメーカーも売れるから作るんでしょうな。消費者は完全に舐められている。

 資本主義の世界だし、売れれば基本的に何を作っても構わないけれど、こういう疑似科学はいただけない。マルチ商法やねずみ講と同じく、世のため人のためにならない。疑似科学、というのは…相変わらずロクでもない例しか思いつかないけれど、『相対性理論は間違っていた』とかその辺である。詳細は『と学会白書』あたりを参照して欲しい。敷衍して、疑似科学のはびこる世の中はどこかおかしいと感じる。皆が皆、冷静で無いというか、自分の脳で考えることを放棄しているのではないか。一応、義務教育なるものが存在する筈だが。

 何となく車ネタを例に出したが、この手の疑似科学はいろんな所にある。どれにも共通して言えることだが、『なんだか良くわかんないけど、すごいらしい』『良くは知らないけれど、正しいらしい』というようなブラックボックス構造だ。『よくわからない』⇒『秘された』⇒オカルティズム、というミエミエの流れで冒頭のネタに立ち返るのはちとあざといかな。

 結論以前に流れが気に食わないので蛇足オチにするか。霊魂がどうのとか占いがどうのとか真顔で言う人が多いのは、日本で宗教についてまっとうに学べる場が無いからでしょうなぁ。たとえば三大宗教についてサワリだけでも学べば、そういう冒涜的な発想は無くなるだろうし。…と思ったけど近所の寺に行っても神仏習合でお稲荷さんとか平気であるか。仏教神道民間伝承ごった煮の七福神とかわけわからんものまであるし。日本人はなんだかんだ偉そうな事言っても現世利益が好きなんでしょう。親鸞も日蓮も法然も栄西も道元も(中略)みなさん個としてはすぐれて哲学的な人間でも、その教えで民族性まで変えるってわけには行かなかったんですかね。

 蛇足の蛇足。科学教育をいくらやっても疑似科学や怪しげな宗教団体が無くならないのは証明済みですな。